top of page
  • khiro1

【白鵬・その5】双葉山



横綱の自著本やインタビューなどを自分なりに整理して書き連ねる。。


後の先(ごのせん)

もともと武術語の「後の先」とは、相手よりも遅れて立ちながら自分に有利に運ぶこと。

古書「相撲伝書」に「上手は終始、先を追って勝ち、下手は終始先(せん)に追われる、」とある。


自分が先に動いて先手を取るか、後から動いて先手をとるか。先手、先手で攻め勝つのが「先の先」。

後手で待って相手の攻めをまず受ける、普通なら攻め込まれるところ、相手の動きを制し先手を取り、しっかりと自分十分の形になる妙技が「後の先」。



双葉山の後の先

後の先で、正々堂々と相手を受けて立つ。

それでいながら自分はさっさと右を差し、左上手を取って万全の型をつくってしまう。岩の如く重く低い足腰で、相手に相撲は取らせない。盤石のすり足で寄る、あるいは切れ味鋭い左上手投げ。双葉の前に双葉なし、双葉の後に双葉なし、そう語り継がれる由縁だ。


失明は逆縁?


ところで驚愕の事実、引退後に双葉山は「右目は失明に近い状態だった(小学校入学前の事故)」ことを明かす。なので相撲もできるだけ目に頼らないよう心掛けたという。


体で相手の動きを感じ取り、体で相手のスキを見抜く修練を重ねた。後の先の立ち合いも、目に頼らない方法を考えた結果、体得したもののようだ。



大切なのは稽古

横綱在位中、合併事業では大関以下の幕内力士10人ほどが待ったなしで続けざまにぶつからせ、1時間以上1人だけで受けるという稽古を毎日行ったという。

「よく稽古するものにはケガがない」「稽古場は本場所のごとく、本場所は稽古場のごとく」の名言。量に質の高さを加えた稽古を積んでいた。



大切なのは心

双葉山は泰然自若という言葉をよく使った。

70連勝を逃したときの名言『いまだ木鶏たりえず』や、『客の顔が全部見えた』との言葉を残している。


我いまだ木鶏たりえず


昔、闘鶏飼いの名人が、ある王から一羽の闘鶏の調教を依頼された。

10日ほどたって王が名人に「鶏はもう使えるか」と尋ねたが、『空威張りの最中でいけません』。さらに10日ほど後『まだダメです。敵の声や姿に興奮します』。


また10日ほど後『まだダメです。敵を見ると”何をコイツが”と見下すところがあります』。


それから10日後、ようやく闘鶏になったとの報。『いかなる敵にも無心です。そばで他の鶏が鳴いても平然としていて、あたかも木でつくった鶏のように動じません。徳が充実して、まさに天下無敵です』。


かつて木鶏にまつわる話しを教えてくれた思想家の安岡正篤氏にあてた電報、ってのもなんとも粋だ!


朝田武蔵というジャーナリストが丁寧に取材、ロングインタビューで白鵬のそれに迫ってくれた『白鵬伝』と、彼の自著や実際の取組み(Youtube)を参考に、テーマを何回かに分けて書いてみる

閲覧数:4回0件のコメント

Comments


bottom of page