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【白鵬・その2】少年時代



1985年生まれ、5人兄弟の末っ子。上の3人はお姉さん、2000年に日本に来るまで両親と川の字で寝てたという箱入り娘ならぬ息子だった。

父はモンゴル相撲の横綱、そしてレスリングでオリンピックのモンゴル初メダリストとなり英雄、母は医者で裕福な家庭で育つ。14、15才頃から日本の相撲に関心をもつ、モンゴルの歴史を好きで本を読んでたが、その関連で日本にも興味が沸いたという。



余談だが、祖母の弟が日本やイギリスで大使だったらしく、家の中に昭和天皇やエリザベス女王の写真が飾ってあったそう。他国を認めるに、まずナショナリストであることは大切で、そんな白鵬だったからこそ日本も愛してくれたのではと思う。



日本で活躍のモンゴル力士のお陰でモンゴルでの大相撲人気はすごく、日本の野球選手が大リーグにあこがれるような感覚だった。父が横綱だったこともあり、大勢の力士が家に出入りするのが日常で相撲が身近にあった。大相撲(日本の)相撲部屋にスカウトされたく仲間と一緒に来日も、細身をみて将来性無しと判断されたようで親方衆から声はかからず…、旭鷲山の働きで宮城野部屋になんとか入門できた。



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ところでモンゴルの人口は約320万人。日本の県でいうと茨城や京都以上、静岡未満。四国の3県合計以上、4県合計未満という(笑)広大な土地に比べると小さな国なのだ。そんなモンゴル力士が大相撲を席巻してることを思うと複雑だ(^^;

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中学3年のときに身長175cm(その後192cm 約150kg)で、100mを12秒台で走るほどの瞬発力を活かしバスケットボールの全国大会で3位に。マイケルジョーダンがあこがれだった。聡明で明るく、運動神経も抜群の少年白鵬が思い浮かぶ。



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話しがとぶが白鵬の奥さん、紗代子さんの出身は徳島県、日本人とは知らなかった。モンゴルのある新聞の「チンギスハーンの子孫でモンゴル英雄の子供が日本女性に盗られてしまった」等と、多くの非難を浴びたが、今は歓迎され、日本とモンゴルの架け橋になっている。

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こんな背景、素地をもつ白鵬が異国の日本、大相撲に挑戦。どんな境地を求め、そしてたどり着いたか!に迫る。


朝田武蔵というジャーナリストが丁寧に取材、ロングインタビューで白鵬のそれに迫ってくれた『白鵬伝』と、彼の自著や実際の取組み(Youtube)を参考に、テーマを何回かに分けて書いてみる

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