「合気道はなぜ強いのか?」から考える武術論(その11)
武術の技術体系の中に、出力練習を目指した稽古をよく見かける。一例が薩摩の示現流(じげんりゅう)。幕末の動乱期や西南戦争などで、実際の斬り合いで驚くべき殺傷力を示したことで知られる。その理由もよくわかる。
戦国時代ならまだしも、平和な時代が続いた後の幕末。多くの武士は剣での斬り合いなど経験したことなかったはずだ。
二人の人間の素手での殴り合いだけでもパニックになる。真剣をもって命の取り合いの場に臨んだら…まず誰もがパニックに陥るだろう。
薩摩の人間だってパニクッていたはず。それでも技を出力できた、という点に示現流の優点がある。
示現流は、右肩に刀を構え、左の脇を締めたトンボの構えという形から斬り下ろす。これを立木に向かって徹底して行う。そして相手に向かって走っていくときには、猿叫という気合を出して突進する。これが示現流の全てと言っていい。この特徴はすべて出力練習の要点にかなっている。
まず技は一つに絞る。それを徹底して繰り返す。相手に向かう時は声を出すことで恐怖心を払い、身体を動かす。刀の根元が相手の身体に食い込んでいた、とまで言われる殺傷力はこのようにして出力可能となったわけだ。
示現流の創始者は、本当の実戦と、その恐怖心の難しさを熟知していたからこそ、このような体系を後世に残したのだ。
必殺の剣、薩摩示現流
示現流(じげんりゅう)とは、薩摩藩を中心に伝わった古流剣術。
薩摩藩内では江戸後期に島津斉興より御流儀と称され、藩外の者に伝授することを厳しく禁じられていた御留流である。武士は主君と御家を守るガードマンであったわけで、他藩からの刺客に手の内を悟らせてはいけない、殺し合いで優位に立たなくてはいけないという壮絶な武術論が、この門外不出ルールに見え隠れする。(続く)
引用の文献「合気道と中国武術はなぜ強いのか?(山田英司)」
整理されたり考えたことを書いていくが、あくまで金子の咀嚼、編集であることご容赦
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