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多人数・武器アリの稽古とは?(合気08)

「合気道はなぜ強いのか?」から考える武術論(その8)

合気道(ほか伝統武術)はなぜ弱いのか?

で考えた要訣の2つめが「対抗性運動の消失」だ。組手がない、試合がない。

格闘技の優れた点は、練習や試合の対抗性運動の中で技を習得していけることだ。かたや伝統武術にはそれが無い。そもそもが殺し技のため一子相伝や厳しい子弟制度で守られてきたという一種皮肉な歴史もあるだろう。


一つめ、【格闘技の修行者との戦い】

武術の強さを発揮しようと思えば対抗性運動の中で、アダプターテクニック(前述)を駆使した戦いができないと勝つことは難しい。それらを約束組手、スパーリング~試合で培う。


武田惣角はもちろん、佐川幸義、植芝盛平、塩田剛三らは命を賭けた対抗性運動を切り抜けてきた人達だ。現代の武術修行者も実戦(相対稽古や試合)を通してしか技の習得、強さの獲得はあり得ない。


ところで、現代格闘技のみを対象に対抗性運動を続けていくと結果的にa5やb5のみで強さを判断しかねない。図のとおりa1~a4、b1~b4という局面切り取りの面積の方が圧倒的に広いわけで、そこをおざなりにすれば武術の価値はまた隠されてしまう。



二つめ、

【なんでもあり(多人数、武器あり)状況下での戦い】

全てを想定することは不可能も、山田編集長が創造した「n-1エスケープゲーム(道場では「ドタバタ」と呼ばれるている)」は、多人数相手、武器アリを想定しての稽古だ。

nには敵の人数が入る、2人ではn-2、3人であればn-3となる。n-10もありだが、nがいくら増えても基本はn-2の応用なので3人いばこの稽古ができる。



さらに「こちらが自分一人の場合」、「自分以外にも弱者がいて守らないといけない場合」という条件をプラス、これをフェイズ1、フェイズ2と呼ぶ。武術のそもそも論(ムダな戦いは避ける)から言えば「フェイズ1」では逃げれば良い。つかまればふりほどく、戦ったとしても自分の身を守った後は逃げる。



「フェイズ2」では弱者を守る、そして弱者が逃げる時間創出のため相手にダメージを与える戦いをしなければならない…と、詳細は書ききれない、興味ある方は本紙をご参照。

この「n-1エスケープゲーム」の際、戦いの前提ともなる「環境の武器化」とはなにか、そしてこのゲームはどんな様相を呈するのか(続く)


引用の文献「合気道と中国武術はなぜ強いのか?(山田英司)」

整理されたり考えたことを書いていくが、あくまで金子の咀嚼、編集であることご容赦

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