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攻脈線が生きる無門会空手(合気07)

「合気道はなぜ強いのか?」から考える武術論(その7)

武術考キーワードの一つ、「攻脈線」が生きる空手が無門会空手だ。無門会の高段者の戦いは図の間合いにて、お互いの顔面を狙いあう静かな戦いとなる。

単純攻撃、それをカウンター、そのカウンター意識の間隙を破る攻撃、その意識をさらに上回るカウンター、と意識が積み重なるのでこれらを二重、三重、四重の攻撃と呼ぶ。無門会の試合ではこの状態で数分間が過ぎることもある。


ところで写真の「間合いと構え」に辿りつくには2つの条件がある。1つ、絶対急所ありルールであること。顔面や金的への防御意識が互いにないと「攻脈線」は誕生しえない。



「攻脈線」が無いと、それぞれのルールに準ずるスポーツ格闘技の様相を呈し、本来的武術から遠ざかってしまう。(※写真はデモ用。試合は防具をつけて行う)



大切なこと、一程度以上の受けレベルを身につける

一撃必殺な間合いなわけだが、受けレベルが低いとこの距離になる前に技に翻弄され、ガチャガチャな試合なってしまう。相手の自由な攻めを自分の間合いで受ける・見切れるようになって初めてこの間合いまで詰められる。



約束組手~自由組手で養うものだが、門派や格闘ジャンルを超えての交流交戦があればさらに良い。同じ打撃系でも伝統派(寸止め)空手の遠い間合いからの急前進の突き、接近時のボクシングのフックなど、実際に体験しないと分からないことは多い。



(ブルース・リーの写真画像の説明文)

ブルース・リーが創造した武術をジークンドーと呼ぶ。(中略)相手がどのような攻撃をしてこようとも、自分は自然に、最も単純な反撃法を選択し、相手の攻撃をさえぎってしまう。そのために技は複雑なものから単純なものへ、精神は瞬時に反応できる冷静さと平静さを求めるようになった。その技と精神的な深化の過程が、受即攻を技の核においた無門会の空手と驚くほど共通点がある。むろんその格闘形態はアプローチの違いがあるだけで相同で、同じような武術的境地の頂を目指すものであると見て良いのではないか。(続く)


引用の文献「Budo-RA vol.11(山田英司編集長)」

整理されたり考えたことを書いていくが、あくまで金子の咀嚼、編集であることご容赦

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