「合気道はなぜ強いのか?」から考える武術論(その2)
武術の原始形態は武器も含めた総合武術である。実際の戦闘模様はあまりに多様だがその複雑なものを単純化、細分化して訓練するのが効果的だ。そんな合理的な軍事訓練を競ったのが古代オリンピックだ。
平和の祭典とはプロパガンダで、近代5種競技の射撃、馬術、フェンシング、競泳、マラソンは、戦争で有効な能力の細分化と言える。19世紀のフランスの騎兵が戦争で馬に乗り、敵を銃で撃ち障害物を乗り越え、さらに馬を捨て、敵と剣で戦い、走り逃げ、川を渡って重要書類を配達したエピソードが残る。この騎兵の動きを局面切りした、総合武術が近代5種だったのだ。
そのオリンピックで最も古い競技の一つがレスリングであるが、20世紀になるまではグレコローマンスタイルだけだった。フリースタイルが加わったのは1908年ロンドン大会からでその歴史は浅い。
今の格闘技ファンにグレコローマンとフリースタイルのどちらが実戦的かと問えば間違いなくフリースタイルと答えるだろう。その理由としてフリースタイルの方が制約が少ない。実際、総合格闘技ではフリースタイル出身の選手の活躍が目立つ。しかし実際に戦闘に明け暮れた古代ギリシアやローマの戦士はグレコローマンこそ実戦的と考えていた。それはなぜか?
答えは相手が剣をもっている局面を想定するか否か
剣をもつ同士なら剣術で戦うが、自分が素手になった場合どうするか。このとき、相手の下半身にタックルに行くのは危険だ。相手は持っている武器を本能的に下へ振り下し殺られてしまう。自分の身を低く置かず胴を密着させる、これがグレコローマンが上半身にしかタックルをしない理由なのだ。
競技としての総合格闘技なら、下半身へのタックルが多少失敗してもやり直しがきくし、正面の膝蹴りさえ注意すれば多少の打撃をくらってもそのまま密着して崩すことは可能だろう。しかし武器をもたれていればそうはいかない。相手にタックルするとき、実戦では絶対に低くもぐってはいけない、それは命取りになるぞという鉄則を、ルールを通じて身に浸透させることこそがグレコローマンルールの目的だったのだろう。
お互いに剣を持ってる局面でもグレコローマンスタイルは有効だ。剣を封じて中に飛び込み相手を地面に転倒させれば、圧倒的に有利な体制で武器を打ち下ろせる。武器の操作、対武器の技術、対複数の技術など実戦での局面の中を貫く、共通の身体操作がすなわち武術の身体操作なのだ。
今の総合格闘技こそ、歴史の中では実は不自然な戦い
現在の総合ファンやプロレスファンは、バーリトゥードや総合格闘技が最強、という固定観念があるので、実戦武術の構造が見えにくくなっているのだ。(続く)
引用の文献「合気道と中国武術はなぜ強いのか?(山田英司)」
最初本の表題を読んだとき、型稽古が中心の合気道を揶揄した本かと思ったがそれは誤りで、表題通りの主張だった。
そしてと新たな気づきと感動を与えてくれた。
整理されたり考えたことを書いてみるが、あくまで金子の咀嚼であることご容赦
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